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  三一番目のリンクス、セーラ・アンジェリック・スメラギはこの砂の海原が嫌いではなかった。
 彼女の故郷であるヨーロッパにはこんなにも過酷で美しい光景はない。
 砂丘が風に砂が流されて移動し、地平線は刻一刻と姿を変える。空はどこまでも蒼く、彼方へと飛んでいく雲の輪郭も極めて鮮明だ。
 高級ホテルの最上階から眺める砂漠の光景は美しいの一語に尽きた。
 ここはパックスの完全統治下にあるコロニー・フンクム。彼女が駆る“ブルー・ネクスト”の仮の神座だ。
 雨は昨日上がった。
 雨期というには余りにも短すぎるその季節は二〇世紀の間は二週間ほども続いたという。だが地球温暖化が進んだ現在、乾いた土地はより乾くようになっている。
 砂漠の太陽は湿った大地を僅か一日で元の乾ききった世界に引き戻した。
 それは暴力的でありながら、極めて自然な姿でもある。
「ニナ。期限まであと何時間?」
 セーラは明るい金色の髪を揺らし、ソファに腰掛けてノート型端末のキーボードを叩く女性管制官に声をかける。
「八時間よ……そう、日が沈むまでだから」
 ニナ管制官もモニタから目を離し、砂漠の光景を眺める。砂漠の光景は彼女には無機質なものに映ったのだろう。太陽の位置を確かめただけで、セーラに視線を向けた。
「それで平和がくるのかしら」
 セーラは大きなガラス窓に掌を当てる。
 砂漠の熱気は二重ガラスの断熱効果で伝わっていない。
「少なくともパックスに対して反抗を試みるような戦力はないはず。私達が恐れていたのはアムールとエチナが団結してパックスに対抗することだった。でも現実はそうはならず、潰し合い、戦力を一カ所に集めてくれたから不安材料を一度で処理できたわ」
「……そうし向けたのでしょう?」
 セーラは振り返り、ニナ管制官を見る。
「私はただの管制官よ。そこまで関与できない。ただそう見るのが自然なのも確かね」
「所詮はリンクスも世界という盤面を右往左往する駒、か……」
 セーラは再びガラスの向こう側に目を向けた。
「私、気になっていることがあるの」
「あなたが気になること?」
「前回掃討した中にはいなかった。……あのAC……あのレイヴンが」
 セーラがそう呟いた時、二重ガラスを伝わって、微かな衝撃が伝わってきた。
 眼下に見える建物から白い煙が立ち上っている。迫撃砲の攻撃だろう。
「ニナ」
「攻撃を受けた建物はACの整備棟よ」
 ニナ管制官は既に端末で確認していたようだ。セーラは白い煙が整備棟から二度、三度と上がるのを見て俯いた。
「私を狙ったのかしら」
「単に抵抗の狼煙かしら。テロに備えて中が空なのくらい、分かっているでしょうから」
「私、行くわ」
「そうね。逃がすわけにも行かないでしょうから、待機していましょう……あなたが気になるレイヴンかしら」
 セーラは何も言わずにネクスト輸送用のVTOLへと急ぐ。その後を無言でニナもついていく。
 エレベータを下りたところで携帯端末がコールサインを表示し、追撃の命令が出た。




「追って来いよ。そうでなきゃ始まらないんだ」
 シーモックは愛機のドライバーシートで思わず心の内を言葉にした。
 砂丘の陰に隠した旧世紀の一五五o野戦榴弾砲を有線遠隔操作し、再度砲撃を続ける。彼と野戦榴弾砲は一二〇〇メートルの距離をとり、自機は砂の中に埋もれ、ネクストの追撃を待つ。
 彼はもう中佐ではない。
 ただのシーモックだ。
 軍属は解雇された。これでエチナが責任を問われることはない。
 今まで誰一人として成し遂げたことのないネクスト撃破を狙う、ただのレイヴンとなったのだ。




 ドライバーシートに収まり、愛機“ブルー・ネクスト”と繋がると、セーラはいつもの重圧を受ける。
 しかしそれは自ら望んで受け入れた苦痛だ。
 彼女にとってAMSから受ける重圧は世界に平穏と安らぎをもたらすための、ささやかな代償に過ぎない。
 気持ちだけで耐え、セーラは輸送VTOLのハンガーから起きあがった。
 輸送VTOLが駐機しているフンクムの軍民共用滑走路はコロニーの最西端にあり、ブルー・ネクストが立ち上がると、セーラの視覚野に砂漠の光景が広がった。
『無人偵察機からデータが来たました。フンクムの北北西二四キロメートル地点。軽量野戦砲の射程ぎりぎりね。GPSデータを転送します。急行して下さい』
「ニナ、フンクムのAC隊を下げて欲しいの」
 セーラは各種データの中にフンクム防衛隊が出ているのを見つけた。
『どうして? 支援にはなるでしょう』
「無駄な損耗は避けたいから。ずっと私達がここにいるわけではないし、いつまた何が起こるのか分からない」
『了解。フンクムの行政府にはその旨、私の方から伝えます』
 セーラはそれを聞くと滑走路をブーストで滑るように進み、GPS情報で示された地点へ加速した。
 セーラはまだPAを展開させていない。
 PAを構成するコジマ粒子は生態系を汚染する。生体に取り込まれたコジマ粒子の体内蓄積が進めば、確実に緩慢な死が訪れる。コジマ粒子が発見されてから今日まで、その汚染を浄化する方法は発見されていない。
 砂漠であればコジマ粒子で汚染されても生態系への被害は最小限でくい止められる。
 セーラはフンクムの街並みが砂丘の向こうに見えなくなってから、ネクストのPAを展開させた。
 機体の各所に設置されている整波装置が低いうなりを上げ、稲妻の輝きと共にPAが形となった。これでもう、ブルー・ネクストを脅かすものはこの世にない。
 そう、ネクスト以外は。




「ようし、その調子だ。もっと近づけ」
 シーモックはレーザーライフルの照準を砂丘を越えて翔けてくる蒼いネクストに手動で合わせ、呟く。
 ロックオンすればこっちの射程の外からでも見つかる可能性があった。
 今のシーモック機は砂と天幕でカモフラージュされていて、センサとキャノンの砲口だけが地面から生えているように見える。もちろんジェネレータも停止させてあり、今はコンデンサの電力だけで、火器制御部分を稼働させていた。
 まず蒼いネクストは自動装填で撃ち続けている野戦砲に向かうはず。攻撃を続けている対象を先に潰すのが兵士の心理だ。その時、どれほど周囲を警戒しようとも隙が生まれる。実戦経験の浅い少女ならば、なおのことだ。
(オレがこの五年間を生き続けたのはこの瞬間のためだったのかもしれない)
 シーモックは思う。
 彼が欧州連合の正規軍を辞めて傭兵となったのはもう一五年も前になる。幼い一人息子が大病を患い、莫大な手術費用が必要になったからだった。
 数多の任務をこなして金を貯め、手術は成功した。だが妻は元気になった息子を連れて家を出ていった。愛していたし、愛してくれてもいた。しかし彼女は傭兵という不安定な生き方に耐えられなかったのだ。その二人も欧州連合の内戦でこの世を去り、シーモックは孤独となった。
 そして国家解体戦争でネクストに蹂躙され、レイヴンとしての自分すら失った。
 彼は生きている理由もなくこの五年間を過ごした。
 しかし今、シーモックはレイヴンとしてネクストを照準の中に収めていた。
 これは彼にとって、自分を取り戻す戦いなのかもしれなかった。




 セーラは視覚野に軽量野戦砲を認め、戦闘システムを起動させた。
 今日の装備は軽装だ。とはいえマシンガンとASミサイル、そしてレーザーブレードとセーラの使い慣れたものばかりだ。
 ノーマル相手なら充分のはずだ。
 セーラは野戦砲までの距離を詰め、マシンガンの射程ぎりぎりで射撃を開始し、チタン合金の塊である軽量野戦砲を瞬時に残骸に変えた。
(やはり囮か)
 セーラはセンサ情報を拾い集め、鳥瞰レーダーを注視する。
 他の戦力は発見できていない。たとえ囮だとしてもPAを破る火力をまだ二つのコロニーが持っているとは考えにくい。
 地雷か、ミサイル射撃網か、狙撃か。
 そうセーラが脳裏で言葉にしたのは、ほんの一瞬の出来事だった。
 その刹那の間で、センサが高エネルギー反応を検出し、鳥瞰レーダに敵反応が点灯したのだ。
 それはレーザー発信器にエネルギーが注ぎ込まれた時の反応だった。




「徐中尉。ありがとよ。お前の仮説その一、大当たりだったぜ」
 シーモックは呟きながら、デュアルレーザーライフルのトリガーを絞る。
 徐中尉は残された短い時間を蒼いネクストのデータ解析に費やした。それによって導き出された仮説の一つが、蒼いネクストのリンクスは近・中距離戦闘を好むドライバーだという結論だった。その証拠にマシンガンとレーザーブレードを多用していた。今日の武装も短距離メインだ。
 レーザーライフルの射程ならば、蒼いネクストの射程外から狙えるし、外しても距離を稼げる。
 シーモックが操縦桿のトリガースイッチを引き絞ると、ライフルの二つの砲口から高出力のレーザー光が誘導放出された。
 二条の光は秒速三〇万キロで蒼いネクストに迫り、薄い蜂蜜色に輝く粒子装甲を貫く。そして高エネルギーを保持したまま、ネクストの左肩部装甲を焼き、煙を上げた。ネクストの装甲がノーマルと同程度であれば、あの程度の損傷で済むはずがない。PAが威力を減退させたのだ。
(仮説その二も大当たりか!)
 シーモックは心の中だけで小躍りし、OBを発動させ、補助ブースターに点火した。

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