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『テンリ、お前、ひどい有様だな』
 漠少尉の声がした。チェックしてみると装甲損傷度は五〇%を越えていた。
『だけどよくやった。俺との立ち会いが効いたかな。毎日やってたからな』
 曹少尉は嬉しそうだ。
「はい、ありがとうございました」
『何言っているんだよ。歩兵を先に行かせるとはひどい奴等だな』
 そういいながらもシーモック中佐は弾んでいた。
『だがな、よくやったぞテンリ。まだ終わっていないから、気だけは抜くなよ』
「はい!」
 テンリは満面の笑みで応えた。
『涸れ谷を越えるぞ』
 漠少尉の命令を聞き、テンリはブーストで涸れ谷を越え、アムールへと翔けていった。



『まずは一段落しましたね。敵にレイヴンがいると分かった時にはひやりとしましたが、やり遂げてくれたみたいで良かった』
 MT隊を指揮する徐中尉から連絡が入り、指揮車のシーモック中佐は頷いた。
「お前らも少し前にいって、露払いしてくれ。データは送る」
『了解しました』
 そして無人偵察機を前線から前に出し、映像を送らせる。敵のMT隊の位置を探らなければどうにもならない。豪雨の中、いつ墜落するか分からなかったが、全力を尽くさずして勝利は決して掴めない。味方が先行しすぎて重砲の掃射に巻き込まれたら目も与えられない。
 雨の中で光学センサは曇っていたが、他のセンサはまだ生きている。高エネルギー反応、生体反応、超広域アンテナ、金属探知機、音響探査機……複合センサは砂漠の上をくまなくスキャンする。そのデータを指揮車で処理すると信じがたい事実が浮かび上がる。
 指揮車の責任者は声を上げた。
「アムールの後方部隊は全滅しています」
「……なんだと!」
 指揮車の責任者は複合データから作成したCGムービーを一番大きなモニタに映し出す。
 鳥瞰視点で作られたそれは最初は遠くから、そして徐々に近くなっていく。
 砂漠の泥の中に横たわるMTの残骸の群。
 その中に、雨を受ける球体の何かがある。
 稲妻のように輝く球体だ。
 その球体に雨粒が当たると沸騰したように一瞬で煙になり、霧散する。
 神々の光の盾、現代に蘇ったイージスの盾を構え、クイックブーストという名のイカロスの翼を持つ全高一〇メートルの巨神。
 その巨神は曇天の下でも、蒼い空のようなブルーに身を包んでいた。
「蒼いネクスト……曹、漠、テンリ! 逃げろ! 逃げるんだ! 奴が来ている! 歩兵部隊は砂の中に隠れろ!MT隊は全力後退! 間に合わなければ機体を捨てて構わん!」
 シーモック中佐はマイクを掴み、大声を張り上げた。
 しかしその声で救われる者は、少なすぎた。
 ネクストは破壊天使だと誰かが言った。
 実はそんなものでは済まないことをシーモック中佐は五年前に知ったはずだった。
「奴らは……死神の化身だ」
 蒼いネクストからオープン無線が入る。
 それは通常の出力を遥かに上回る、どんなECMも効きそうにない暴力的な電波だった。
『停戦期間は終わりました。私、セーラ・アンジェリック・スメラギはパックス・エコノミカの全権代理人として、またリンクスとして、エチナ、アムール双方の武装を強制排除します』
 あの少女の声だった。
 シーモック中佐はマイクを握らない方の拳を固く握る。
 爪が掌に食い込み、血が滴り落ちた。
 その血は床に広がり、乾ききる前に全ての戦闘が終わりを告げた。



 七二時間。
 それがパックスから与えられた、エチナに残された時間だった。
 阿鼻叫喚の地獄絵図の後、七二時間のうちに全ての武装を解除して、パックスの部隊の進駐を受けなければ全面的な破壊……油田を除く……を行うとの最後通牒があった。
 シーモック中佐は移動指揮車のリラックスシートに腰掛け、天井を見上げていた。
 彼の後ろには、腕を包帯で吊って頭に包帯を巻いた漠少尉と松葉杖をつく曹少尉がいた。
「……すみません……中佐」
 曹少尉の声は震えていた。
「済みませんでした。僕達に任せて貰ったのに、僕達がいたのに、あいつは頑張ったのに……あいつは、最後まで……」
 漠少尉は俯いたまま面を上げない。
「言うな。お前達が悪いわけじゃない……あいつがオレの命令を守らなかった、それだけのことだ」
「そんな……あいつは立派でした。MT隊が助かったのは、テンリの力があったからです……撤退の援護なんてできるような損傷じゃなかったのに」
 曹少尉は軍服の袖で涙を拭う。
 漠少尉は身体を小刻みに震わせ、涙を床に零した。それはつい三時間前にシーモック中佐が血を滴らせた場所だった。
「お前らだって、充分やったさ」
 シーモック中佐は胸ポケットから煙草を取り出し、ライターをカチカチとやる。だがなかなか火が点かず、ようやく火が点いてもなかなか煙草に火を移せなかった。
 指揮車の中は禁煙だったが、今は誰一人としてそれを指摘する者はない。
 煙草から紫煙が上がり、シーモック中佐はゆっくりと、肺の奥まで煙を吸い込む。そして珍しく激しく咳き込んだ。
 シーモック中佐の目は潤み、とうに涸れたはずの涙が、また流れた。
「……また一人、死んだ。それだけのことだ……それだけのな」
 曹少尉も漠少尉も応えられなかった。
 MT隊を指揮している徐中尉から連絡が入った。擱坐した三機のACを回収したとのことだった。シーモック中佐はそれを聞くとシートから立ち上がり、外に出て行った。
 昼になり、雨は上がっていた。
 回収されたACは中庭に並べられ、使えそうなパーツの分離を行う予定だった。整備部隊の女の子たちは涙を堪え、零しつつ、回収作業を手伝っていた。
 シーモック中佐は中庭に横たわる緑のACの前に立つと、コアのところまで歩いていった。コアは原形を留めておらず、車に踏まれた空き缶のようにひしゃげていた。
「……即死です。苦しまなかったと思います」
 徐中尉がMTから下りてきてシーモック中佐に声をかけた。
「親族に連絡はとれるか?」
「いえ。彼の肉親は解体戦争の時に全員……」
「そうか……バカ野郎が……生きなきゃだめだ、生きなきゃ」
 テンリがエチナを自分の居場所だと言っていた意味を知ってシーモック中佐は俯き、煙草を投げ捨てた。
「蒼いネクストが姿を消していたのは、アムールとエチナに反抗分子を集めさせて、一気に叩くつもりだったからなのでしょうね……我々はパックスの掌で躍っていたわけだ」
 徐中尉は忌々しげに曇天を見上げた。
「いつまでも踊っていると思うなよ」
 シーモック中佐はそう吐き捨てると黄司令の執務室に急いだ。
 黄司令は首脳部と電話で話し合いをしている最中だった。そして電話が終わり、シーモック中佐に気づくと目を細めた。
「苦労をかけたな。そして今までご苦労だった。もう契約は解除だ、レイヴン。エチナは武装解除を決めた。期限内に君も出て行かないとACを接収されるぞ」黄司令は唇を噛んだ。「……本当なんだな。感情を押し殺すために唇を噛むってのは。文学的表現だと思っていたよ」
 シーモック中佐はその言葉を聞いて、傷ついた掌で拳を固めた。
「まだ時間はある。やらせてくれ」
 それを聞き、黄司令は意外そうな表情を通り越え、怒りを露わにした。
「何ができるというのだ! あのネクストに対して我々は、いや、祖国すら何もできなかったのだぞ! 今更なにか手段があるとでもいうのか! 今残っている稼働機は君のACとMT七機、そして装甲強化兵の部隊だけだというのに。ネクストに立ち向かえる手段があるのか?」
「ある! あのネクストに勝てはしなくとも、エチナがパックスと互角にやりあえるだけの切り札を手に入れる手段が」
 それを聞き、黄司令は顔色を変えた。
「……本当なんだな?」
「オレの命を賭ける」
 扇風機だけが、静かに音を立てていた。
 シーモック中佐は五年前に止まった時間が動き出すのを、しっかり確かめていた。

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