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 小一時間後、テンリは新品の戦闘服に着替えて詰所に現れた。テーブルについているのは徐中尉だけで、彼は食後のお茶をしているところだった。椅子に腰掛けようとしないテンリに徐中尉は言った。
「中佐なら食後の一服で外ですよ」
 それを聞き、テンリは室内礼をして詰所から出た。そうしてほうぼう歩いた末、コンテナ集積所の谷間で腰を下ろして紫煙を燻らせるシーモック中佐を見つけた。
 しわくちゃの帽子にしわくちゃの戦闘服、泥だらけの革靴と、格好いいところなど微塵も無い、くたびれた中年軍人だ。噂に聞いた“本物のレイヴン”の生き残りとはとうてい見えない。だが彼の周りに漂う、言葉にし難い雰囲気だけは感じていた。
 シーモック中佐はテンリに気づいたらしく、目を向けた。
「何か用か?」
 目は少し笑っていた。
「ええ。ボクは使い物になりますか?」
 今度は露骨に笑われた。
「いきなり使い物になるわけがないだろう」
「じゃあさっきのは何だったんですか?」
「気合いを見ただけだ。心の中がからっぽじゃ、戦えないからな」
「は……はい」
「傭兵はな、雇われた先で何の因果もない人間と戦う。結果として相手を殺すことになるかもしれない。それがすんなり出来る人間はそう多くない」
「は、はあ」
「だから心の中に何か持たなければ生き残れないのさ。国でも家族でも誇りでもいい……お前は何故レイヴンになりたいんだ?」
 テンリは一つ息を呑んだ。
「レイヴンが“漢”だからです。三国志や水滸伝に出てくるような」
「そんなわけないだろ。勘違い甚だしい。マンガやアニメの見過ぎだ。“漢”だってだけでお前は人殺しも出来るのか?」
「い、いえ、それは……」
「そうだろう」シーモック中佐は煙草の火を消し、携帯灰皿に入れた。「そろそろ戻ろう。午後の勤務時間はとっくに始まっている。空虚なロマンじゃなく、自分なりに理由を見つけておくんだな」 中佐は立ち上がって埃を払い、歩き始める。その背中を見詰め、テンリは口を開いた。
「中佐殿はどうして傭兵になったんですか?」
 シーモック中佐は歩を止めた。しかし振り返ることはなかった。
「……オレは……いや、今となってはどうしようもないことさ」
 その沈んだ声を聞き、テンリは触れてはならなかったのだと悟り、そのまま彼を見送った。



 テンリを始めとする義勇兵は着実に集まり、エチナ防衛基地は往年の活気を取り戻しつつあった。黄司令はその様子を執務室の窓から目を細めて見ていた。
「どうだ。兵が増えて士気は上がったか?」
 ソファのシーモック中佐は肩をすくめる。
 彼は黄司令に呼び出され、様子を訊かれていたのだ。
「ええ。ですが戦闘が再開したらどうなりますかね……停戦協議の方はどうなんです?」
「信頼の置ける情報だが、蒼いネクストは欧州の本社に戻ったらしい。そうなればパックスの調停員の言葉など意味を持たない。堂々巡りだ。停戦期間が終わるのは週明けだ。それからどうするのかは首脳部次第だな……」
「そうですか」
 シーモック中佐はまだ痛みが残る脚をかばいながら立ち上がる。
「それまでしごいてやってくれ」
「ええ……」
 シーモック中佐は重苦しい思いを抱いて、執務室から出た。
「どうです?」
 廊下で徐中尉が待っていた。
「どうもこうも。首脳部は最後の賭けに出るつもりだ。停戦期限明けと同時にアムールに総攻撃を掛ける。あっちの油田を占領して、人質代わりにするつもりだ。ネクストが占領部隊を強制排除するようなら、油田に火を点けるってな……だが、占領を完了しなければ、ネクストに殲滅させられる。蒼いネクストがいない今が、侵攻する最大の好機だ」
「当然といえば当然ですが。自分のところの油田は惜しいですし」
「お前はいつも動じないな」
 シーモック中佐は呆れる。徐中尉はいつもと同じ細い糸のような目で彼を見ていた。
「いえ、動じてますって」
「ちょっとびっくりした顔をしてみろ」
「こんな感じですかね」
 徐中尉は糸のような目を必死で大きく見開こうとしたが、無駄な努力に終わった。
「オレが悪かった」
 徐中尉は悔しそうに唇をゆがめた。そして二人がこれからのことを話し合おうとした時、訓練を終えた漠少尉達が官舎の前を通りかかった。漠少尉達は立ち止まり、二人とも複雑な表情をしていることに気づいた。
「百面相ですか?」
「ほっとけ。おう、少年もいたのか」
 耐Gスーツ姿のテンリは笑顔で応えた。
「テンリはすごいですよ。乾いた砂が水を吸うようになんでも覚えるんです。今日も立ち会いをやったんですが、十本に二本はとられるようになりましたよ」
 曹少尉は自分のことのようにテンリを自慢し、漠少尉も頷いた。
「少年にはオレの穴を埋めて貰わなくてはならないから、しっかりな」
 シーモック中佐は目を細める。そんな彼の心の内も知らず、テンリは邪気のない質問を浴びせた。
「中佐殿はいつになったらACに乗れるようになるんですか?」
 周囲の人間はぎょっとしたが、シーモック中佐自身が穏やかに応えた。
「医者はまだだと言うんだ。さすがに折れた肋骨は二ヶ月じゃ完全にはくっつかんのさ」
「早く直してください。一緒に戦いたいです」
「……そうだな。間に合うといいな」
 シーモック中佐は機甲部隊の詰所に戻っていく。だが停戦開けまでに自分の身体が完全に治らないことを彼自身よく知っていた。
 停戦期間の二ヶ月がもうすぐ終わる。その頃にはちょうど季節が変わっているはずだ。
 長い乾期が終わり、短い雨期がくるのだ。
 雨期が終わりを告げる頃、エチナとアムールがどうなっているのか誰にも分からない。
 全てはパックスの蒼いネクストがいつ戻ってくるのかにかかっている。
 まだ風は乾いていた。
 だがその風に雨の匂いが漂い始める頃、シーモック中佐達は再び戦場に戻る覚悟を決めなければならないのだった。

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